2011年12月10日土曜日

ダウンタウンのこと(再録)

今宵は手抜きのための、ではなく、次回のエントリへの前フリとしてyabuniramiJAPANリターンズをお送りします。
はっきりいいまして全部で5回分をまとめているので滅茶苦茶長いです。ご了承ください。
それでは時計の針を2005年1月11日に巻き戻します。




まだダウンタウンが大阪ローカルのタレントだった時代、これほど「可能性のカタマリ」だった芸人は、後にも先にもいなかったのではないかと思います。もし、こんな仮定が成立するのかあやしいですが、もしダウンタウンが全国的な大タレントになっていなければ、間違いなく語り継がれるであろう、伝説の芸人になっていた気がします。

ダウンタウンのすごさを語る上で、どうしても松本の発想力の話になってしまうのですが、あえてそれを封印します。そうしないと本質を見誤ると思うからです。
ではダウンタウンと、他の漫才コンビとの決定的な違いは何かといえば、アタシは「信じられないような器用さ」にあると思うのです。
よく「器用貧乏」なんていいますけど、ダウンタウンの場合は「器用富豪」といってもよく、何をやらしても非常に器用にこなし、そしてすべてにおいて華を持っていました。

ダウンタウンの出発点は漫才ですが、まずここで同期の漫才コンビを蹴散らしています。アタシはまだ「松本・浜田」と名乗っていた頃の漫才をテレビで見たことがありますが、なんだか気味の悪い漫才でした。というのもどうみても若輩にもかかわらず、やたらテンポが遅く、しかもまったくモロさがなかったからで、今の目線でいえば「完璧に完成された」漫才だったんですね。
のちに浜田が「当時からいとし・こいしに似てるといわれてた」といってましたが、若いくせに年寄りのような呼吸でやってたんだから、異質な存在にみえても当然っちゃあ当然なんですけどね。

もう少しわかりやすく説明します。

ダウンタウンがデビューする数年前、昭和55~56年頃に空前の漫才ブームというのがありました。
このブームの中心となったのが、関西ではザ・ぼんちと紳助・竜介、関東ではツービートということになると思いますが、当時の感覚からすれば、ブームを引っ張っていってたのは間違いなくB&Bでした。(やすきよは別格扱いだった)
ブームになる前から、先輩後輩問わず、他の漫才コンビがこぞって舞台袖でみていたというB&Bの漫才は革新的なもので、何が革新的かといえばそのスピードです。

おそらく今の若い人が当時のB&Bの漫才をみたらビックリするんじゃないでしょうか。とにかく速い。音楽でいえばゴアテクノぐらい速いのです。既存の漫才コンビがBPM70~100ぐらいの時に、ゆうに150をこえてるんだから、そりゃ目立って当然です。
正直にいうと、アタシはB&Bをあまり好きではありませんでした。でもこのスピード感は他の若手漫才コンビにも多大な影響をあたえとおぼしいのです。

というのも、さいきんB&Bが司会をしていた『笑ってる場合ですよ!』のビデオをみたんですが、もうみんな速いんですよ。そのビデオにはぼんちも紳竜もツービートもでてましたが、まるでB&Bに対抗するかのように、何をいっているのか聴き取るのが困難なぐらいテンポが速い。よく当時の観客はこれについていってたな、と関心すらしてしまいます。

とまあこんな時代です。さすがに若干の揺り戻しはあったものの、漫才ブーム以前に比べると、若手とよばれる人のスピードはかなり速くなっていたのはたしかです。

そんな時に、漫才ブーム以前はおろか、もっと前の時代なみのテンポで登場した、それこそ「いとし・こいしに似てる」とたとえられるダウンタウンの存在は古臭くもあり、異質でもあったのです。

スピードがあればね、多少の巧拙は目立たないんですよ。それが、B&Bがゴアテクノなら、レゲエのようなテンポのダウンタウンは、一切の拙さを感じさせなかった。まぁ気味が悪いのは当然ですね。

しかしここまでならたんに「時代を代表する、すぐれた漫才コンビ」にすぎないのですが、ダウンタウンの場合、漫才以外のことも完璧にこなすことができた。くわしくは今後書いていきますが、コントも司会もバラエティ・トークも、他の人とは違う次元でこなしていったんです。

漫才で異質な存在だったダウンタウンですが、一見非常に古臭いスタイルは、大向こうにはまるでウケませんでした。全然人気のなかったダウンタウンを、上岡龍太郎が絶賛したという話を以前書きましたが、もっぱらその技量を評価したのはプロというか同業の人だけだったんです。
かくいうアタシもそこまで興味をそそられる存在ではありませんでした。まだわかりやすい構図をもったハイヒールあたりの方が興味があったことをおぼえています。

しかしそこで状況を一変させる出来事がおこります。それが心斎橋二丁目劇場のオープンです。なんば花月やうめだ花月のような<常連&おのぼりさん>用の劇場ではなく、きわめて実験的な要素のある、かけだしの芸人を中心にした小劇場としてオープンしたんです。
おそらく吉本側は、当時定着しかけていた小劇団用にあった小さな劇場(例えるなら、下北沢のスズナリのような小劇場)のお笑い版のようなイメージでつくったのではないかと。しかしそこに、いわばジジ臭い漫才コンビのダウンタウンがピタッとハマると予想したのはごく一握りの人だけだったでしょうね。

この小劇場でダウンタウンは、完全に年寄りを切り捨てたようなコントを次々発表していくのですが、ここでの活動はいわばアンダーグランド的なもので、一般の人にはそれほど関係のないものです。
しかしここで培った経験とネタをじょじょにテレビに持ち込みはじめます。二丁目劇場にかけてウケたネタのうち、テレビ向きものを『今夜はねむれナイト』(関西テレビ)で発表したのです。

太平サブロー・シローが司会をしていたこの番組は非常に地味なもので、その中でダウンタウンがコントを演じたコーナーだけが燦然と輝いていました。このコーナーでやった初期の傑作『「あ」研究家』などのネタを、はじめてみた人が結構いるのではないでしょうか。そして同時に強い衝撃をうけたはずなんです。
やがてこのコーナーで、テレビに特化したオリジナルコントをやりはじめ、アタシはうめだ花月からなんば花月までゴルフをしていくという『プロゴルファー猿』のコントをみた記憶があります。(そしてこの流れが『ダウンタウンのごっつええ感じ』にいきつくのです)

この地味な人気にあてこんでつくられたのが毎日放送ではじまった『4時ですよ~だ!』で、本拠地である二丁目劇場からの中継で、月曜から金曜日までの毎日、文字通り夕方の4時からはじまる番組で、ダウンタウンでのローカル人気は決定的なものになります。

『4時ですよ~だ!』でダウンタウンがみせたのは一流のタレントぶりで、特にややをもすると地味な存在であると認識されかけていた(紳助に「お前はいずれ竜介みたいな存在になるねんから」とすらいわれていた)浜田の仕切りぶりはまことに見事なものでした。ソツのない進行ぶり、共演者へのボケのチェック、そして松本にボケのタイミングをつくるといったことを、この番組で完成させていったのです。

どうでしょう。こうやって網羅してみると、そのあざやかな<イメージの転化>がみてとれるのではないでしょうか。
≪地味な古臭い(しかし玄人ウケする)漫才コンビ≫→≪先鋭的なコントコンビ≫→≪バラエティでも力が発揮できるタレントコンビ≫といった具合に。

正直このレベルで「漫才もコントもタレントもでき、しかも独創的なネタがつくれる」若手は、後にも先にもダウンタウン以外おらず、一部の「わかっている」人たちが異常な期待をしたのも無理はありません。

このころになると、さすがにアタシもダウンタウンのすごさがわかるようになり、もしかしたらとんでもないスケールの芸人になるのではないか、と信じるようになりました。
アタシがダウンタウンに期待したのは、日本ではほぼ実現したことのない「チャップリンのような映画がつくれるのではないか」ということです。なにも涙と体技の映画をつくってほしいということではなく、完全に自作自演の映画がつくれるんじゃないかと。これはいまだに実現していませんが、今でも可能だと思っていますし、絶対やってほしいと思っています。

となると、ここでどうしても比較しなければいけない人たちがいます。
ひとりはもちろんビートたけし。もうひとり(一組)は、ややデビューと人気沸騰がダウンタウンより先行していたとはいえ、ほぼ似たような人気の得方をした、とんねるずです。

ビートたけしが急遽深作欣二に変わって監督をつとめた『その男、凶暴につき』が公開されたのは1988年のことです。いち芸人が「商業向けの、しかもコメディではない」映画の監督と主演をつとめたことは、たけし以後の芸人にはかりしれない影響をあたえたんじゃないかと思うのです。
それまで、いわゆる『あがった』芸人の進むべき道は、俳優か国会議員ぐらいしかなかったわけで、つくり手の、しかも最高権力者である映画監督への道をひらいたことは、特に、俳優に向かない、かつ裏方志向のある芸人に「あ、そんな手があったんだ」という指針にすらなったと思うんですね。

ちなみに1988年といえば、まだダウンタウンがローカルスターにすぎなかった時です。のちに松本は単独で『頭頭(とうず)』(1993)というオリジナルビデオ作品をつくっていますが、裏方志向で、しかもテレビや舞台と違い制約の少ない『発表した時点で完結する』OAVのような映像コンテンツに関心をしめしたのは当然でしょう。

ただ、たけしの監督デビューはいわば偶発的なことであり、現にたけし以外のコメディアンが商業映画の監督をつとめる(というか起用された)ケースはほとんどありません。(紳助の映画も純粋な商業映画ではない)
いくら松本がそっちの方にシフトしたがったとしても、それを受け入れる土壌が日本にはないわけですし、しかも全国的にみれば『かけだし』の存在だった松本がそういうチャンスを得ることはありませんでした。これはダウンタウンが大御所的な存在になった2005年でもおなじで、あれだけ映画製作への意欲を語っているにも関わらず、いまだに叶っていないわけです。
それを考えると、たけしがいかに運があったかがわかると思います。(もちろん才能があったことも否定しないが)

はっきりいってしまえば、現時点で松本の映画製作はかなり絶望的です。たけしはまだ『戦場のメリークリスマス』(1983)をはじてとして俳優としての評価があったわけで、つまるところ映画界とのつながりがあった。しかし松本は皆無ですよね。たぶん何本かの、他人のつくる映画で主演してからでないと無理だと思うし、だからといって今更そんなことをやるとも思えないし。
もし映画をつくることになっても商業映画ではなく、限りなく低予算なオフシアター向けのものになりそうな気がする。しかしそれならOAVでもいいわけで。
まぁ≪ダウンタウン主演、松本人志監督≫の商業映画が封切られることはまずないでしょうね。

さて

ダウンタウンがローカルスターだった時代、その人気を支えたのは女子高生をはじめとする若い女性たちでした。とにかく若い女の子から絶大な人気があったことは間違いありません。なにしろお笑い一切抜きの、歌だけのコンサートをふつうにやってる(もちろん関西限定で)状況だったんですから。
こうした『お笑いのアイドル路線』は関西ではさほど珍しいものではなく、古くは中田カウス・ボタンにはじまり、あのねのね、そして明石家さんまへとつづいていくのですが、この流れは漫才ブームの余波で全国へと飛び火しました。

その決定版ともいえるのがとんねるずなのですが、とんねるずのキャラクターは「陽」そのもので、「とんねるず」というネーミングの由来となった「暗さ」は、その名前が知られるころには影も形もありませんでした。
とんねるずが『オールナイトフジ』、『夕やけニャンニャン』といったテレビ番組、『一気!』や『雨の西麻布』、『歌謡曲』(個人的にはすごい名曲だと思う)などで大ブレイクした時、(若干時期はずれるものの)スケールを大阪に限定したバージョンがダウンタウンだったわけです。共通点はもちろん「アイドル路線」ですね。

ただしとんねるずが「陽」とするなら、ダウンタウンは「陰」そのもので、笑いのベクトルは正反対だったといってもいいでしょう。つねに当事者の立場のダウンタウンと、あくまで第三者的立場をとり続けるとんねるず、という部分でも正対している。

結果的にはこれがおたがいにとってよかったんじゃないかと思うのです。

『ごっつええ感じ』では、『みなさんのおかげです』の十八番ともいえるパロディコントを封印し、楽屋オチも極力排除していました。一方とんねるずも、ひたすら世間の評価など一切気にしていませんよ、といわんばかりの、自分たちがおもしろいと思える企画をどんどん実現させていった。

なんだかね、この二組はN極とS極のような気がするのですよ。反発しあいながらもお互いのパワーを自分のパワーに変えて浮上していく、というようなね。
ただどうも最近はダウンタウンが、あいかわらずマイペースのとんねるず側に近づいている気がしないでもないですが。

ここからは「ダウンタウン・松本」、「ダウンタウン・浜田」という、ひとりひとりにスポットを当てて書いていきます。

まずは松本から。
初回でも宣言した通り、松本の発想力はあえて無視してきましたが、今回もやっぱりそんなに触れません。なぜなら発想力よりももっともっとすごい武器が松本にはあると思うからです。
以前、ダウンタウンが彼ら以後の芸人にどれほどまで影響をあたえたかという話を書きました。簡単にいうと「彼らの『ボソボソしゃべる』という、うわべだけを真似た芸人が続出した」みたいな内容だったんですが、主に『ボソボソしゃべ』っていたのは松本の方です。しかし松本のすごさは、やる気がなさそうにボソボソしゃべっているようにみせて、実のところものすごく滑舌が明瞭なのです。
『ごっつええ感じ』のゲームコーナーで早口言葉をやるという回がありましたが、他の共演者をものともせず、ダウンタウンのふたりが圧倒的にうまかった。特に『ボソボソ』というイメージのある松本の滑舌のよさは、かなりの衝撃ものでした。

つまり松本は『ボソボソ』を芸風のひとつとして取り入れているわけで、ああいう風にしかしゃべれないからじゃないし、それを実現できるテクニックがあるのです。そりゃいくら表面上のスタイルだけを真似しても、それこそ発想力も何もかも劣る人が松本の足元にもおよぶわけがないのです。(そもそも松本のスタイルを取り入れようとした時点で、その芸人にはセンスがない)

もうひとつの武器は、あのいかにも運動神経のなさそうな動きです。
松本の動きは、たしかに運動神経が悪そうだけど、実に手足がよく動くでしょ。そして動きにテレがない。
ふつうはテレますよ。でその結果、中途半端な動きになってしまっておもしろくない。でも松本は思いっきり動くことで、不自然な動きすら武器にしてしまった。

これはさきの『ボソボソ』とセットになっていると思う。『ボソボソ』はある種気取ったというかテレの入った芸風です。でもそれだけじゃ生意気にみえすぎて親近感がない。それがあのケッタイな動きをすることによってバランスをとってるような気がするんですよね。

さて浜田の話です。
松本とは反対に、浜田は『立ち姿』が実にさまになっている。バラエティ番組でも献身的に動きまわりますが、その動きが本当にきれいなんですよね。これをみるだけで「ああ、この人は天性の芸人なんだ」と思ってしまうわけです。

浜田といえばツッコミですが、ここでツッコミに関して身震いのするようなエピソードを披露しましょう。

アタシの知人で、名前は伏せますが吉本で漫才をやっている人がいます。いわばダウンタウンの後輩にあたるわけです。
知人の方はボケなんですが、そのコンビは「ツッコミが凶暴すぎる」とみられていたんですね。ところがある日、ひさしぶりにこのコンビの漫才をみたら、メチャクチャおもしろくなってたんですよ。特に「凶暴すぎる」と揶揄されたツッコミがすこぶるよくなっている。
アタシはその知人に「いったい何があったのか」ときくと、驚くべき答えが返ってきたんです。

「あれなぁ、あいつ(ツッコミ)、浜田さんにアドバイスもろてん。『お前、ツッコんだ後、何でもええからニコっと笑え』って。それから急に変わった」

この話をきいた時、アタシは震えがとまりませんでした。『ニコっと笑え』なんて単純きわまるアドバイスですが、これは「ツッコミとはいかなるものか」を完全に掌握していないと到底でてこない言葉です。
『笑え』というのは「これはツッコミであって、本気で怒っているのではないですよ」という合図なんだけど、それを至極単純な言葉で(しかも誰でも飲み込める)アドバイスができるなんて、ちょっとできないですよ。これは人にものを教えたことのある方なら、≪ひとつだけポイントを指摘して、全体が劇的に変化する≫ような、このアドバイスのすごさをわかっていただけるんじゃないかと思います。

浜田はたびたび「(のりお・よしおの)上方よしおと、(中田カウス・ボタンの)ボタンのツッコミが好き」と語っていますが、漫才好きな人からみれば、非常にマニアックな好みですよね。
野球が嫌いな人には苦痛な話でしょうが、なんだか「土肥さんのバッティングフォームを参考にした」と公言する現中日監督の落合の話と相通じるものがある気がするのです。「そこからヒントを得るか」という部分と、完全に自己流に消化して、それこそ誰にも真似ができないものをつくりあげたという部分においてね。

さて
ダウンタウンの番組といえば、『ガキの使いやあらへんで!』か『ごっつええ感じ』、もしくは2回目でも触れた『4時ですよ~だ!』、そして現在も放送中の『ダウンタウンDX』、『HEY!HEY!HEY!』あたりが浮かぶと思います。
この中でもダウンタウン自身の燃焼度が高い(高かった)番組といえば、『ガキの使いやあらへんで!』か『ごっつええ感じ』になるのでしょうが、アタシが個人的に一番好きだったのは『夕焼けの松ちゃん浜ちゃん』(のちに時間帯を変えて『松ちゃん浜ちゃんの純情通り3番地』にリニューアル)なんです。

これは吉本新喜劇のフォーマットにダウンタウンを当てはめたもので、ダウンタウン以外にも今田耕司や東野幸治、ほんこんなどの、いわゆるダウンタウンファミリーも出演していました。

朝日放送の日曜12時では、木村進・間寛平・コメディNo.1による『あっちこっち丁稚』以来、吉本の若手芸人を中心とした吉本新喜劇が多数制作され、桂三枝の『花の駐在さん』やさんまの『さんまの駐在さん』などで、途中中断したものの、現在でも陣内智則とフットボールアワーの『横丁へよーこちょ!』が放送されています。

なにしろ下地が吉本新喜劇なので、基本的にハナシはどれもいっしょ。逆にいえばそれだけその芸人の力が試されるわけです。

浜田はコンビニの店長かなんかの役だったんですが、エプロンのポケットにね、スリッパが常時入ってるんですよ。もちろんツッコミ用に。
それでボケまくる共演者をことごとくチェックしていくんですけど、これが最高におもしろかった。もちろん松本もでててるんだけど、ちゃんと吉本新喜劇風の、しかも松本らしいボケ方でね。

アタシの持論として「一流の芸人はベタをやらせても巧い」というのがあるんです。たけしもそうでしょ。あの人も実はベタの方がおもしろかったりする。逆にいえば、ベタもできないようじゃ、シュールな笑いはできないってことなんでしょうね。うん。

さっきも書いたように、現状ではダウンタウン主演・松本監督の映画はほとんど無理な情勢です。ではこれからのダウンタウンに何をやってほしいかというと
「ベタな笑い(コントでもコメディでもなんでもいいから、バラエティでなくとにかく作り物で)をダウンタウン流に処理した番組をやってほしい」
のです。
そういう展開は松本の本意ではないかもしれないけど、そういうのをもっと見てみたいと本当に思います。
『明日があるさ』の映画版だって、最初の構想通り『社長』シリーズのリメイクにしておけば、もっとわかりやすい喜劇になったのに。本当にもったいない。

最後になりますが、ここまで封印してきた≪松本の発想力≫のことですが、アタシは何も認めてないわけではないのです。実際『4時ですよ~だ!』以来、何度そのボケに愕然としたかわかりません。ただ松本の線でダウンタウンが動くと、少しアンダーグランド寄りになってしまうような気がしています。
それじゃ困るんですよ。「一部のわかってる人だけに向け」てやるのではなく、もっともっと幅広い人にアピールするような、そしてダウンタウンの持ち味を完全に活かした番組をこれからもやっていってほしいんです。

だってそんな、マニアックな存在で終わるようなタマじゃないもん。ダウンタウンは。




各エントリの前フリをカット、そしてブリッジとして若干補足を入れましたが、評価等は一切手を加えていません。松本が映画を撮るのはまず無理、といった部分もあえてそのままにしています。

本来ならここで「今の視点」を加えるのですが、さすがに長すぎるので次回へ持ち越します。