2009年3月10日火曜日

やらしい女優

こんなタイトルで妙な期待をさせてしまったらどうしようと考えると夜も眠れない。

昔の邦画を見てると「やらしい」としか形容しようがない女優が結構でてくる。
たとえば新東宝でいえば三原葉子とか東宝でいえば北あけみとか、大映でいえば渥美マリとか。
これらの女優はたいてい話のアクセントというか、主人公を誘惑するような役ででてくる。まあ渥美マリはちょっと違うが、あれはそっち側を主役にしただけで、基本は一緒だ。
これらの女優はみんなたいして美人ではない。体型も今見るといいとは言い難く、三原葉子はかなり腹がでてるし、渥美マリは意外と胸がない。
しかし、とにかくやらしいのである。そういう役だから、ではなく、もっと本能を刺激する部分で存在そのものがやらしいのだ。
よくいえばコケティッシュ、悪くいえばオナペッ・・・いややめとく。

これはこないだ書いた楠田枝里子の反対のパターンで、絶世の美女はやらしいとか超越してしまって異性としての魅力を感じづらい。しかし先にあげた人たちは顔も美形ではなくスタイルもよくない。だからこそやらしいのだ。
そりゃ女性と生まれたからには少しでも美しくなりたいと思うのは当然だろう。(ま、楠田枝里子は行き過ぎだろうけど)
しかし男性が本能的に望んでいるのは「やらしい」女性なのだ。これは顔もスタイルもたいして関係ない。そこそこレベルで十分だ。
では何が必要かといえば、いい意味での下品さがいる。三原葉子も北あけみも渥美マリも、いっちゃ悪いが下品な香りがする。それは言葉遣いや人格の問題ではなく、醸し出す雰囲気が下品なのだ。

今こういう女優はほとんどいない。その意味で鈴木砂羽にはちょっと期待していた。
実質デビュー作である「愛の新世界」の彼女は、実に下品なやらしさを醸し出していた。
その後本格女優っぽくなって、某朝ドラで母親役とかやってるが、この人の持ち味は元来「下品なやらしさ」ではないか。

そういや松坂慶子も子役からあがってしばらくは「下品なやらしさ」を持ってたが、やっぱり本格女優っぽくなってしまった。
鈴木砂羽も松坂慶子とまではいかないまでも、そういう路線になってしまうには惜しい人材である。せっかく今の時代には唯一無二の個性があるのだからそっちをもっとやってほしい。だからといってそっちの方が売れるかは自分は知らない。